東大阪市の観光案内

文化財

千手寺(せんしゅじ)

役行者(えんのぎょうじゃ)によって開かれ、その後、空海(弘法大師)が千手観音を本尊として中興したと伝えられています。
惟喬(これたか)親王の乱で出火消失し、本尊の千手観音が深野池に飛入。池の中で光を放っているのを在原業平(ありわらのなりひら)が発見して、寺を再建したといわれ、業平の腰掛石や五輪塔、業平廟(びょう)などが残っています。
また、境内には、大正時代に「そろり」という落語家が芭蕉の句をもじってつくった「業平と背中合わせのぬくさかな」という歌碑もあります。
寺にある湛海(たんかい)作の不動明王坐像は大阪府の指定文化財です。
また、本堂の裏に古墳時代後期の横穴式石室が保存され(弁天塚古墳)、見学することができます。

 

近鉄石切駅下車、南へ約400m

072-981-2241

石切劔箭(いしきりつるぎや)神社

地元の人々には“石切さん”と呼ばれ、石切劒箭神社とは石を切る鋭い剣や矢を意味し、腫れ物を治す神様として全国的にその名を知られている古い社です。本殿前の樹齢約470年のくすの木は、東大阪市の天然記念物です。参道の商店街は、今も古き商店の面影があり、年中参詣の人で賑わっています。

 

近鉄新石切駅下車、東北へ約500m
近鉄石切駅下車、西南へ約1.5km

072-982-3621

夫婦塚古墳

市の指定文化財です。
墳丘の周囲や墳頂部が削られていますが、もとは円形を2つ合わせた双円墳と考えられ、両方の墳丘には横穴式石室が築かれています。
東側の石室は、全長9.2m、向かって左側がくびれた片袖式(かたそでしき)と呼ばれる形をしています。平成元年の発掘調査で、2体が埋葬されていたことが明らかになりました。
西側の石室は、全長9.6mの片袖式で、内部には3体の遺体を埋葬した痕跡が残り、鉄釘が出土したことから、木棺が使用されたことがわかります。
出土した遺物の年代から、この古墳は6世紀中頃に造られ、東側石室から埋葬が始まったことが明らかになっています。

 

近鉄額田駅下車、北へ約500m

玄清寺(げんせいじ)

古代河内で勢力をもった額田首(ぬかたおびと)の子孫といわれる高内正定(たかうちまささだ)が織田信長に従い大坂石山本願寺との戦いに参加した後、その戦没者の霊を弔うために慶長2年(1597年)に建立しました。
高内正定の法名、浄翁玄清居士から玄清寺と名づけられました。
門を入って左手の観音堂には、当時から本尊の観音像の脇侍として地蔵菩薩像とともに南無仏太子像(聖徳太子2才像)が安置されていたことが棟札に書かれています。南無仏太子像は、総高69cm、桧材、寄木造で室町時代の作、彫法もすぐれており、市の有形文化財に指定されています。

 

近鉄額田下車、西へ約500m

072-981-2854